
2011.7. 6

アレッサンドラ・フェリ Alesandra Ferri ー No.80イタリア人バレリーナ、アレッサンドラ・フェリ
は2007年、ピークで引退した。「家族との時間を優先したい。一番い
い時に辞めたい」と。
私は引退直前フェリの
存在を初めて知った。
そして引退来日公演で
フェリの舞台を初めて観た。
最初で最後の舞台、それはすばらし
かった。'踊る女優'といわれフェリ。
筋肉からドレスの揺れまで美しく。
特別な才能をもつ人ほど、引き際を知っている。難しいだろうが。続けることの大切さもある。 が,人より優位にたつことの無意味さ,実体ない'それ'を求める人が多い現実。惑わされず自分がしあわせと思えることを選択して進める人がいい。それは孤独な選択だろうけど、その先には生身の自分を心から想ってくれるほんとうに大切な人たちが側にいてくれることになると、信じるしそうありたい。総合芸術といわれるバレエ。過酷で地味なレッスンと、華やかな舞台。美しい舞台をみながら、一瞬に賭けるバレリーナの強い情熱と,戦い,ストイックな生活を想像する。数時間の夢をみた後、すべては表裏一体、だと大切な大きな何かを体全体で感じとる。
しなやかな身体、踊り、音楽性、演技力
「ロミオ&ジュリエット」今までみた中で最も美しかった。
↑ フェリ引退公演がすべて収録されているDVD
2011.7. 4
これからほしい「森のもの」3つ ー No.79
梅雨の合間、高い湿度と猛暑が続いても、ときどきそよぐ風に気持ちいいと感謝もできる季節。
そしてときどき森へ出かける。成長の時期、緑は晴れでも雨でも生き生きと嬉しそうにみえる。子供のころ絵本でみた遠い異国の深いうつくしい森のイメージをもって、バレエで観た幻想的なシェークスピア「真夏の夜の夢」の舞台、妖精たちが住む森のイメージ、森'ガール'でなくても女の子らしい神秘性をもって出掛け森の世界へ想像力を膨らませる。実際は、カメラ片手に中年らしい装いで。
まだ新緑も出ていて緑が育つ美しい季節はつづく。いま「森」のもの、欲しい'もの'が3つある。深澤直人さんの鳩時計。家に壁掛け時計を置かないわたしが、唯一購入をきめている時計。間伐材で作られていてシンプルで全体のバランスが好き。
イイノナホさんのペンダント照明「森と鳥」。
桜の木の葉っぱとガラスの鳥が作家ナホさんの手にかかるとこんなに素敵。上田義彦さんの「QUINAURT」写真集。
'アメリカインディアンによって名付けられた「バージンの森」2つの森に奥深く分け入り森の深奥の'出来事'を捉えた'(一部amazon引用)という深い森だけの写真集。大好きな麻布のSWITCHのカフェでこの本を初めてみた瞬間、「探していた森の本はこれ」と思い。抱いてきた幻想や夢の森はこんな色だから。先日六本木ヒルズから届いたDMの掲載記事に、「森へ行こう」ー森の特集記事があり、音楽家 坂本龍一さんの呼びかけで始まった「more trees」=もっと森を、という森林保全団体を思い出しました。とてもアクティブで興味深いプロジェクトです。↓ click herehttp://www.more-trees.org/index.htmlまたその「more trees」には震災後にスタートした被災地支援のための「LIFE311」というプロジェクトもあります。すばらしい活動です。↓ click herehttp://life311.more-trees.org/上の深澤直人さんの鳩時計もこの'more treesプロジェクト'から生まれたデザインです。
2011.7. 1
デザイナー奥山清行さん KEN OKUYAMA の鉄瓶 MAYU FUKU ー No.78
以前ご紹介のお花屋さんBLANC ET NOIRの田中慎一さんのブログを拝見していたら、日本人が「和」を提案する難しさ、みたいなこと、書いたものがあり、おもしろかった。和ブームはとてもいいことだけど、仕事においてわたしは、日本人だからこそ「和」の提案はこわくて避けてきた。日本人なのに日本の文化に無知すぎて恥ずかしいという思いが強い。勉強してたとしても深いところを理解できる自信はない。日本の美って無駄がないようにみえるけれど隠れた部分が豪華だったり派手だったり。。大切なことは形になく、やはりすごく難しい。。日本画を習っている時も自国の伝統や文化を知らないことが多すぎておどろく。田中慎一さんは、「男のお茶会」=「ダンチャ」も度々行う、今時な青年。頭脳は金融出身らしく経営的理論的なはずで、肉体はラグビーで鍛えられ、最近はトライアスロンまで挑戦している体育会系でもあるが、話題は 'ガールズトーク' 寄り(?)わたしは昔から男性が生けるお花が特に好き。繊細な潜在的な内面が出てきて想像できない形を創り出すから。その田中氏の「和」に関するブログの中に、「南部鉄瓶」のことがあった。↓ click hereブログに出ている南部鉄瓶、きれいですね。→鉄瓶からカーデザイナー工業デザイナーとして世界的に有名なKEN OKUYAMA=奥山清行氏を思い出した。奥山清行氏は多くの人が尊敬するデザイナーだろう。わたしは長くインテリアデザイン業界にいて '誰がセンスがいいとか悪い'とかその辺に氾濫する評論や議論、氾濫する 'かっこいい' というすべてに、とうに飽きていたけれど、奥山清行さんは特別、真にかっこいい。「フェラーリと鉄瓶」はとても楽しい本です。↓ホンダ、ゼネラルモーターズ、ポルシェ、フェラーリなど、ピニンファリーナのデザイン最高責任者までなった方だけど、多くの「和」の、また和を感じさせるプロダクトや家具など多くデザインされていて、それがみな美しい。堂々と「和のデザイン」と自慢できる。やはり奥山さんの生き様なのだろう。一見男っぽい男性が創り出すものには、意外性を感じるものが多くて、やはり女性よりはるかに男性は繊細でロマンティックなのかな、と美しい創作をみて改めて知る。← 奥山さん、鋳物のストーブもある。すてき。奥山清行 KEN OKUYAMA HP ↓click here http://www.kenokuyamadesign.com/KEN OKUYAMA CASA ↓click here http://www.kenokuyamacasa.com/index.html
2011.6.30
デパドヴァ De Padova ー no.77イタリア ミラノのvenezia通りに「DePadova」という素敵なインテリアショップがある。1990年 ご自宅の庭でのデパドバ →ミラノでは当然、世界的に有名なDe Padova デパドバだけれど、幸運なことにわたしはインテリアの仕事に就いた初期に、仕事でデパドバと多くのご縁をいただいた。もう22年も前のこと。ヴィコ・マジストレッティとデパドバ、思い出、というにはあまりに才能豊かな遠い方々だが自分にとっては宝物。デパドバは、シンプルでモダン。家具はもちろんすばらしいが、コーディネートのセンスも人気の理由。白が基調の清潔感あるコーディネート。一見とてもシンプルなので真似できそうだが、そぎ落とした洗練と元々のセンスも相まって、それ風に真似ても同じにならない。最後数ミリの詰めまで高度なセンスなのだから。![]()
だいぶ前のELLE DECO から。マダム デパドバの美しいテーブルコーディネート
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デパドバ自宅のエントランスあたり、リビング ダイニングルームへつながる![]()
エントランスにイタリアらしい彫刻が美しい。ダイニングルームのチェアは北欧デザイン、トーネットをコーディネートした写真![]()
あたたかい心地よいベッドルームの提案。シェーカー家具やアンティークのラグなどあわせて。清潔なイメージ。
間接照明で落ち着くリビングルームと、マダム デパドバの自宅の書斎。![]()
デパドバ50周年で出版された本から。マダム デパドバの軌跡。1980年代後半に、イベントのため、 デパドバが来日し、数日ご一緒したが、デパドバがコーディネートをまとめていく過程をみて実感した。真似などできるレベルではないと。その数日の幸運は、22年も経った今も忘れることはできない貴重な体験だった。
← デパドバのコーディネートをすべて行っていたマダム リーヴァイベントでのレイアウトの指示は事前にデパドバから送られてきて、彼らが来日してから数日調整に入った。デパドバのディスプレイ担当として、リーヴァ、という女性がいらして、終始コーディネートの微調整はリーヴァが行った。イベントの前日夜中まで、同じところを繰り返しcm,mm単位で何度も手直しする。10台並べた本棚の位置を最後に'数cmずらして'、という指示があり皆で数百冊の本を出したり入れたりした。'ダイニングテーブルの上には食器は白がいい'、と数件と都心のショップを回ったが、リーヴァは気に入ったものはみつからず、安いもの、高価なもの、さまざまなテーブルコーディネートを試みたが、最後にはすべてをはずし、ジノリの白いスープ皿を2枚置いただけだった。気に入るものがなかったのだろうけれど、部屋全体のコーディネートのバランスをとることで、見事にシーンを表現した。何より驚いたのは、素敵な生活シーンを演出提案してみせることで家具の特徴もわかりやすくなっていること。デザイナーによっては、会場がきれいにできないものはどけてしまう人が多い中、リーヴァとデパドバは、営業上の効果を理解できていて、必要なアイテムをきちんとみせながら、美しいコーディネートを表現した。お花もリーヴァとデパドバが生けた。白とグリーンの花々を花屋で選び、何パターンも作り、ざくざく枝を切り、最後はこの部屋は「英国風の花にしたい」と言った。私は普段は店作りのコーディネートを担当していた。店、イベント、それぞれの目的があり、自分の役割をよく理解できていた。勘違いしなかったのは最初から超一流の方々の仕事をみれる環境にあったことは大きいだろう。マダム デパドバは終始明るくやさしく、マダム リーヴァは仕事には非常に厳しかったが普段はやさしく、パーティでは2人アルマーニでドレスアップしとてもかっこよかった。
イタリアらしいと思わせるコーディネートのデパドバは、ウェグナーのチェアや北欧のもの、アンティークのラグなど絶妙なバランスでコーディネートした。そのテクニックのすごさは、空間の捉え方、照度の取り方、空間スペースの取り方、メリハリのつけ方、異素材の組み合わせなど全体のバランス感覚と逆に細かい事。最後まで小さなディテール細部までの拘り、そのしつこさ、はどんな職業でも特別な才能ある人に共通している気がする。ただしつこい人、というのと大きく異なる。拘りが完成度を変える。その後1990年、ミラノのデパドバの家の取材がありディナーに同席できた。家の大きな門を入ると大きな庭があり、きれいな家の明かりが見えた。広い玄関ホールからさらに広いダイニングへつながる。1990年 訪問したとき。マダム デパドバは門の前で →ミラノ中心部とは思えない広い庭 ↓広い庭でスプマンテをいただいていると、自転車でヴィコ・マジステレッティが入ってきた。素敵なインテリア、デパドバとマジストレッティとのおいしいお食事、夢のような夜だった。![]()
玄関先の庭の一角、ミラノ中心と思えないとても素敵な庭だった。
この写真撮影の後、ここでディナーをいただいた。
ダイニングルームの横の階段から2階へ。ベッドルーム。
ご自宅の書斎
リビングルームへ。豊かな間接照明で空間が変わることを学ぶ。 デパドバからいただいたプレゼント私には、強烈な思い出となって22年たった今も色褪せないが、デパドバのスタイルがまったく色褪せて衰えていないのだと思う。
カステリオーニもマジステレッティも亡くなり、時代が変わっていくがデパドバはこれからも誰も真似できない一流の表現を続けるだろう誰に対しても差別なく丁寧でやさしい対応をくださるマダム・デパドバ。すごい人に共通した心からの思いやりを示せる女性。ポーズではなく、本気で自分の人生を駆け抜けている人たち。そして、大きな才能もあって。(左写真は最近のマダム デパドバ、右は故ヴィコ・マジストレッティ)e De Padova → http://www.depadova.it/it/
2011.6.28
ヴィコ・マジステレッティ Vico Magistretti 建築の東京の家と家具ー No.76たった1日または一瞬の出来事がずっと、もしかしたら一生か、自分の中に強い影響力として残ることがある。幸いわたしにはそう思えるいくつかの良き出会いがあった。
仕事においても人間性伴った才能ある方々や一流の建築家やデザイナーに会う多くの機会に恵まれたことは時代性も併せしあわだった。うち一人は、故ヴィコ・マジストレッティ。20年間在籍したインテリア会社に入社した時期はポストモダンなどイタリアモダン家具が特に元気でデザインが活発な時代。入社3日めから引き継ぎで初めてはいってきた仕事は、イタリア巨匠建築家故ヴィコ・マジストレッティの住宅物件で、自分の能力と合わず苦労は多かったけれど幸運だった。最初に与えられた指示書はマジストレッティからのファイル1冊。図面、家具、照明、キッチン収納、テキスタイル類、庭のプランなど。説明文など詳細が何もなかった。日本でマジストレッティ建築の唯一の住宅は東京の閑静な住宅街に。写真はその外観のごく一部。木造で外壁には銅板も多く使われている。左に庭の一部、ハナミズキがみえる。(Vico Magistretti本から)
マジストレッティの指示で入れた家具やキッチンの一部。ガラスのVUDUNテーブルはダイニングや勉強机、寝室など形や大きさを変えて、いろいろな部屋に。サイドテーブルは、自分のデザインではなく、エーロ・サーリネンの大理石天板のサーリネンテーブルがたくさん置かれた。![]()
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照明器具 左上の2つ、間接照明は各部屋にたくさん。丸いOLGAは全部で100個くらい輸入。天井、壁に、また洗面台ミラー横に並べたり。すべて黒のオーダーだったが、メーカー誤出荷で全部、白が届き、引き渡し直前で現場で怒られたが、マジストレッティは、白でいいと解決案をくれた。苦く、勉強になった思い出の一つ。美しい街灯のLINDONは、ガラス玉4個を3個に日本で加工しデザインを変えた。施工屋さんに嫌がられた。数週間後には来日したマジストレッティと会い夢のようだった。多くの方に怒られ助けられ約1年後に竣工、納品はギリギリ間に合い終った。日本で唯一の、ヴィコ・マジステレッティ建築の東京の家。仕事で多くの住宅をみてきたが、日本で、後にも先にもあんなによい家をみたことはない。高台にあるその家は立体的な構造で、各部屋がオープンでつながっているよう、木造で、木枠の大きな窓が美しく多く、光と風が通る気持ちよい家。庭にはハナミズキ、白い花が咲く。家の中央にリビングルーム2つ。和室,ゲストルーム,地下にワインセラー、プレイルームなど。
カーディガンというソファのカタログの写真。この東京の家のために作られた tokyo という名の生地の、大きな3人がけソファ(右と同型)が向かい合わせに、中央の半月形のsindbad tableがソファの各サイドに斬新に配置され、中央に大きな長いアンティークのラグが敷かれた。
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隣のリビングには、veranda sofaが、カーブした窓に沿っておかれた。生地は麻linoだった。リビングルームに面したテラスからは美しい眺望。大きなパラソルとデッキチェアが6台くらい置かれた。
家具も照明もラグも何もかも当時は日本には入ってきたことがない見たこともないものだった。カーテンをつけないよう指示があったが、クライアントからの要望で、一部に裏打ちのない麻のドレープをつけた。カーテンレールなどない。マジストレッティはとても嫌そうだった。家具の大半はその後日本にも入ってきた、イタリアのデパドヴァDePadova社の商品で、この物件の後にも、デパドヴァのプロジェクトにいくつか関わった。2つ同時開催のイベント、またその頃、ミラノのデパドヴァの自宅に行き、マジステレッティも同席でディナーをいただく機会もあり、ミラノでも最もセンスがよいと尊敬されているデパドヴァの美しい家をみた。22年も前なのに昨日のことのように鮮明に記憶に残っている。売場やイベントのレイアウトも担当し始めてまだ数年の頃、インテリアの仕事に強い緊張と集中を感じていた当時の私にとって、いきなり世界の超一流のレベルを目の当たりにし、驚くことばかりだった。そしてかけがえのない経験となった。1990年のこと。デパドヴァDePadovaのことは、次回に続きます。。
生前、デパドヴァとも親交の深かったマジストレッティご自宅にて。大きな木枠の窓、風通しの良さそうな明るい家は、東京に建築した家と似ている。
マジストレッティの書斎仕事場
亡くなった後サローネで開放されたマジストレッティのオフィスヴィコ・マジストレッティやデパドヴァのスタイルは、イタリア、ミラノらしく抜群なセンスで洗練され普遍的。モダンでありながら、誰もが夢でイメージする豊かでしあわせな暮らしのあたたかい光が、いつもさしているよう。それは永遠の夢かもしれないけれど。