
2016.10.20
フジコ・ヘミングさん ー N0.410
フジコ・ヘミングさんのピアノがとても好きです。伝わってくる熱。自由に音が流れる感じ。まだこの世界にはこんな人間的な美しい音が残っている。フジコさんが描く絵もきれいでわたしは一つ持っている。衣装もインテリアの趣味もすてき。困難を乗り越えて、自由な風をつかみ孤独な道を自分の足で生き抜いてきた印象。多くを失い何もないときも繰り返し自力で居場所を作ってきたのか。じんとくる。
絵や写真も自由な感覚で置かれているよう。思い出もたくさん詰まってそう。私が持っているフジコさんの絵は左下の黒いフレームの踊り子のもの。
お部屋かわいらしいものいっぱい。いろいろなものがごっちゃに共存し調和している。
断捨離とかミニマリズムとか流行りはむなしい。ミニマリズムなど言葉はだいぶ前にも流行りでもその本質を神秘的な憧れを抱き追求するように人は言葉の意味をもっと大切にしていた。同時にモノに宿る命や物語や思い出とかも大切にしていた。モノを大切にしていた。人生長く生きていると何度か大切なものを失っていく。モノを全部失ったとしてもモノに宿る命は大切に想い続ける方がいい。1枚の写真から多くのすてきなセンスがうかがえ参考になることもありそう。高級品も道端に咲くお花も同じように美しい楽しい感覚で置く。自分が好きなものを側に置く。インテリアは生活であって、モデルルームのようなお飾りを見せ与えられ鑑賞するものでなく、自分で一つ一つ楽しむ小さな積み重ねで気持ち豊かに悲しいことは飛ばしてしまおう。美しい音楽を聴きながら洗練された人たちの暮らしの工夫を想像してみよう。
2016.10.15
月も秋 ー No.409
本格的な秋に。昨晩は月の光が眩しく雲が流れる美しい夕空でした。あたりまえであるはずの景色が平和にみえる。大人になるにつれ怒りとどう向き合うか大きな課題の現実。だからいつも美しい方向をみる。今日は結婚記念日。自然も人もえにしという尊い不思議。
2016.10.14
手紙 ー No.408
なかなか捨てられないもの。手書きの手紙。作家の枝川光一さんとは叔父の教え子だったというご縁がきっかけで何度もお会いできた。枝川さんのお仕事にご協力させていただいた。すてきなことだった。枝川さんがもう病気になり最期の数年だったけれど。穏やかでしあわせな時間だった。
そして何度かメールや手書きのお手紙もいただいた。写真はあるお手紙の最後に書かれた言葉。お手紙の内容は秘密。字はその人柄を表すという昔の感情を改めて思い出し、そんなささやかなことに心ふるえる。枝川さんが病気になられ後だったけれど、お仕事をお手伝いする機会を得た。だんだん体が動かなくなっていたのに気配りができる知的なすてきな大人だった。多くの著作からは差別をきらい市井の人たちの思いや生きてる街のこと大事に思っていたという印象が残る。最後まで貫いたと。控えめで強い思いを文に託し遺したと。縁や出会いこういう時間が人生において最も尊い豊かな時間。最後の著書「ぼくらの瀕死のデモクラシー」は今の時代を示唆したようなもの、でも過激な批判でなく枝川さんらしい優しい文章で、でもきっと精一杯強い思いを遺したのだと思う。今また心によみがえる。
2016.9.29
秋の嵐 ー No.407
雨つづき。一昨夕の空がすでになつかしい。
2016.9.23
『須賀敦子からの手紙』 ー No.406
5月に出た『須賀敦子からの手紙』すてきです。数年前に創刊された好きな雑誌「つるとはな」の編集から出た本です。悲しいニュースが続く春の終わりわくわくし何度もめくりました。須賀敦子さんが生前に送った手紙がたくさん載っていて、装幀もきれい。手紙っていい、字はその人だと思う気持ち感覚を思い出しました。紙ものが自分のペースに一番合っているよう。選んだハガキやカード、手書きの字、滲むインク.. 生き生きしていて見てるだけで楽しい。
須賀敦子さんの世界観はわたしが持つ思い出多きイタリアの一つのイメージそのもの。豊かなあたたかいすべて。遠い記憶を呼び起こす。良質な本の言葉は、想像の力を、大きな道の向こうの1本の細く光る道をくれる。本は旅。あらたな出会いを驚きをくれる。奪いながら多く得て生きていける人がいて、永遠に人に多くを与え生き続ける人もいて、ほんとうのことを約束してくれる。言葉の力は大きくて日々の小さな喜びに変わる。