
2021.8.10
1990年 初めてのパリ アンドレ・プットマンのエカールへこの時のことは過去ここに何度も書いてきたと思うが、今この状況で特別なつかしい。またここに行ける日が来るとうれしいと、もうここに AndreePutman はいないけれど。パリの Ecart International 社ジャンミッシェルフランクJean Michel Frank の復刻に2009年ころ関わったが、初めては、その何十年も前の1990年で、アンドレ・プットマン が取り組んでいた復刻、他にもすばらしいデザイナーたちの復刻をいくつかを見た。このパリの前に、プットマンとは東京で会っていたが、パリのエカール社では、プットマンご本人の案内でショールームを周り、プットマンの存在感と、そのデザインに対するすべて、情熱とそれら美しさに感動した。
パリのエカール社での会議のあと ランチまでご一緒したすばらしい時間。プットマンのスター性や、アーティストとしての放つ熱、存在感。そして、誰に対しても気さくで同じ対応をする姿勢。
晩年最後の回顧展を、パリ市庁舎で無料で開放したことまで通じ、一貫していた信念だと感じる。
20代から何度もお会いし、東京での新作家具のプットマン展を、指示のもと担当したことなど
昔だろうが今だろうが関係なく、
情報よりも、自分の目で見たり経験したことは大きく、今も生きる。
昔は写真はあまり撮らなかったから記憶を辿る。でもまたそれが 想像力に繋がって、楽しみながら考えることができる。同じ1990年アンドレ・プットマン が河口湖にデザインしたホテルルラック Le Lac内装まですべてかっこいいです私がいた伊日の合弁会社で商業者時代のカッシーナジャパン Cassina Japanには当時は設計インテリアデザイン会社もあり多くのデザインプロデュースを手がけていた その一つ1984年にはプットマン はニューヨークにデザイナーズホテルのブームとなるモーガンズニューヨーク MORGANS NEW YORKをデザイン私も初めてニューヨークに行ったとき着いてすぐにモーガンズに直行したこの頃プットマン にパリや東京で何度もお会いでき私はプットマンが日本とデザインした家具の新作イベントの準備から設営 パーティーまで担当したラッキーで光栄な経験移動時のスーツにリュックのファッションジタンのタバコをいつも手にする姿何もかも憧れた仕事で間接的にお世話になったパリ在住の南谷さんがまとめたプットマン の本から多数すばらしい美しい実績を遺したプットマン の情報も今では検索すれば何でも出てきますがこの本はプットマン やアールデコに興味なくてもファッションやインテリアの一時代を知るにもわかりやすく深くコンパクトにまとまっていて楽しい一冊絶版かもしれないですがデザイン好きな方にお勧めです。
2021.8.10
月下美人
7月24日 満月の夜、月下美人が 約5年めにして初めて咲きました。
一晩だけ命を持つ花が 満月の下で速く開花して行く様子は、感動というか、花言葉にあるように 情熱や意志があるよう、強い生命力に圧倒されるような不思議な感覚に。まさに A queen of a night の貫禄、妖艶な美しさでした。女王様と朝まで何度か会話しました。この月下美人は、何年後か前に父から株分けしてもらったが花が咲いたことがなかった。でも今年初めて 蕾が2つ、一つは落ちてしまったが。輝く満月の光の下で一夜限りの 儚く 美しい花は、この夏のささやかな喜びでした。最後の写真は、7月18日の蕾のころ。そう、月下美人といえば、夫は、大学生のとき旅したハワイのオアフ島で、夜道で同行のガイドから案内され、車から降りて、ものすごい数の月下美人の開花を見たことがあるそう。ガイドから、'この光景を見ることができて、君たちはとてもラッキーだ'と言われたと。人生に突然現れるすてきな幸運。
2021.8. 8
東京オリンピック
7月23日。買い物途中に、 5輪カラーに駆け抜けるブルーインパルスを真上に見ました。
強い風で五輪はすぐに消えてしまいましたが、都心で見上げた空に大きく広がりました。
夢中で見ていたのでうまく撮影できませんでした。
実際見てると やはり感動的でした。
富ヶ谷交差点も久しぶりに祭りのように多くの人。
誰もがさまざまな複雑な思いだろうが、皆あまり声を出さず最後は拍手。
しばらく交通規制あり 夫の仕事の移動や制約 なにかと圧迫感ある日常
開会式でドローンの青い地球が 窓から遠くにまっすぐみえて 素直に感動しました。
思うことは実に色々ありますが
情報や分析に惑わされず 心が感じるまま、過去を大切に味わいながら、ただ未来を想うのみ。
強く プレイも芸術的に美しい 大坂なおみさん
試合直後も優しい繊細な瞳が印象的。
特にテニスは集中して観てしまう。
わたしは10代うち2年間ほぼ毎日テニスの部活動で合宿や試合も多く、
一滴も水を飲めない時代、プロのコーチが2人いてすごく厳しく、
部活内は仲はいいのに 常に揉めごと喧嘩ばかりで、日焼けで真っ黒な自分が嫌だったが、すべて笑える大切な遠い思い出。
なおみさんのように 一人で立ち 前を向き、どんな場面でも批判ではなく 自分が思うことを言える人は美しい。オリンピックの選手一人一人から力をいただいた。まだまだ光は遠いけれど。
2021.7.18
レモネードと みかんジュースで
昨晩 友人が仕事帰り会いに来てくれた。みかんジュースとレモネードで乾杯。わずか1時間、でも特別な時間だった。
お互い何かと落ち着かない忙しない日々。
帰り道、梅雨明けした空に きれいな半月を見ながら、久しぶりにゆっくり歩いた。
2021.7. 4
向田邦子さん 没後40年イベント 2今年の初めに開催されていた青山での向田邦子さんのイベントと重なって、たまたま 沢木耕太郎さんの「作家との遭遇」を読んでいたら、向田邦子さんに関する文章があった。 タイトルは '記憶を読む職人''ユーモアのかげに多くの死がちりばめられていた' とか、好きな作家の好きな作家論、とてもおもしろかった。自分も今の歳だから解る楽しみもたくさんあるものだ。若いころは 好きな人の情報を必死に探し周り 本や紙で保存し、色々想像したもの。向田さんの情報も見つけると大切に持っていた。今では簡単によく見る、この写真はそのひとつ。フジタのリト、革のソファや椅子、器や料理...暮らし方まで等身大の本物の貫禄、使う言葉と同じで 媚びず嘘やブレもなくみえて、とても憧れた。そして女として人を心から愛したことがあるんだなとわかる愛する苦悩を知っているんだなと。なろうと思ってなれる知性や魅力ではないと。全てが想像だけど、インテリアがすてきとか薄っぺらいものでなく生活してる様子は生き方そのまま、潔く、嘘がない。